支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(7)

掲載日:2020.11.29

支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(7)

王子軽便鉄道と支笏湖について、各種会合で説明用に使用していたパワーポイント資料を使ってこのHPで1ページづつ紹介させていただいています。今回はその第7回目です。

上の写真は山線の乗車券で「山線便乗券」とあります。

表面には苫小牧から第四発電所までの駅間ごとの運賃が記載されるようになっており、昭和11年の記録では湖畔から苫小牧までは80銭、最も長い苫小牧から第四発電所までは1円10銭とあります。ちなみに当時の郵便はがきは1銭5厘とのこと。ずいぶん高い運賃だったようで、その後苫小牧の関係者からの陳情により値下げされているようです。

裏面には、當専用鉄道ハ當工場原料及發電所用品等ノ運搬ヲ目的トシ乗客ニ對スル設備ハ甚ダ不行届ニテ萬一ノ事故撥生アリテモ絶對ノ責任ハ保證致兼ヌル故不悪御諒承相成度シ

現代語に訳すと、当専用鉄道は、当工場原料及び発電所用品等の運搬を目的とし、乗客に対する設備ははなはだ不行き届きにて、万一の事故が発生しても絶対の責任は保障致しかねるので悪しからずご了承願います。 

となります。 本来山線は王子製紙が千歳川に建設する発電所への資材を運ぶ目的で敷設されたもので乗客を乗せることは想定していませんでした。

そもそも軽便鉄道とは、国において地方鉄道の建設を推進するため、それまでの法律に比べて簡易な条件で建設できるよう1910(明治43)年に定めた軽便鉄道法によるものとされており、同法の施行により北海道をはじめ全国各地に普及しています。

1922(大正11)年4月からは乗客を乗せるようになりましたが、なぜこの時期から人の乗車が認められたのか、それまでの軽便鉄道法に代わる地方鉄道法の制定(大正8年)と関係があるのか、鉄道敷設法の改正(大正11年)と関係があるのか、またはそれ以外の要因なのかは定かではありません。

ただしこの年、当時の摂政宮皇太子(後の昭和天皇)が北海道行啓の折7月22日に山線で支笏湖に立ち寄られており、そのことが関係しているのかもしれません。なお、摂政宮皇太子がご乗車するため貴賓車2両が王子製紙苫小牧工場で製造されており、そのうち1両は現在も苫小牧市内のアカシア公園に保存されています。

また、許される客車の牽引は1両のみだったという説がありますが、2両連結された写真が残っています。2両のうち1両は貨車扱いだったのか?・・・これも定かではありません。

次の写真は摂政宮皇太子の行啓に当たり大正11年6月22日、東宮大夫伯爵珍田捨巳から王子製紙苫小牧工場長にあてた通牒(書面)で、

皇太子殿下来る七月上旬東京御發 北海道行啓可被為在(あらせらるべく)付ては別記の通(とおり)行啓 可被為在候(あらせらるべくそうろう)追って行啓に関する詳細の事項は北海道長官より御協議可致候(いたすべくそうろう)  とあります。

このような記録が残っていることは、今では大変貴重な資料と言えるでしょう。

長くなりましたので今回はこれで終わります。次回は切符についてもう少し詳しくお知らせします。

 

支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(7)
支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(7)