支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(5)
掲載日:2020.10.09
王子軽便鉄道と支笏湖について、各種会合で説明用に使用していたパワーポイント資料を使ってこのHPで1ページづつ紹介させていただいています。今回はその第5回目です。
上の写真左:北海道官設鉄道(後の国鉄)上川線の砂川と妹背牛間の空知川に1899(明治32)年に架けられた第1空知川橋梁です。
英国製の鋼・錬鉄混合トラス橋でチャールズ・ポーナル(英国)の設計によるもので同様の橋は全国で140基ほど架設されました。第1空知川橋梁はその後、輸送量の増大により架け替えられることになり、王子製紙が払い下げを受け支笏湖に移設されました。
下の写真左:木橋時代の湖畔橋です。山線が開通した1908(明治41)年から鉄橋に架け替えらられる1923(大正12)年ころまで活躍しました。架け替え後の鉄橋(山線鉄橋)の橋長が200ft約64mなのに対し、木橋は図面から推測すると約30m程度だったようです。
下の写真右:1898(明治31)年、空知川に架設される工事中の第1空知川橋梁です(写真出典:北海道鉄道百年史下)。この橋は1916(大正5)年5月10日川の増水により橋げたから転落しています。その後、橋は修復されることになりますが、採用された工法が橋の本来の構造に手を加えなかったことが現代に至り、2007(平成19)年近代化産業遺産や2018(平成30)年土木遺産の認定につながっています。
※この橋(山線鉄橋)については、このトピックスで改めてご紹介することとします。