支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(6)
掲載日:2020.10.25
王子軽便鉄道と支笏湖について、各種会合で説明用に使用していたパワーポイント資料を使ってこのHPで1ページづつ紹介させていただいています。今回はその第6回目です。
上の写真は、現在の鉄橋に架け替えられる前、木橋時代の様子です。木橋がいつ架けられたのか、正確な月日は定かではありませんが、1908(明治41)年山線が運行を開始した当時には橋は架かっていたと思われます。
写真右上は、千歳川下流方向から支笏湖方向を見たもので、線路の手前方向は発電所、苫小牧方面になります。
川には支笏湖周辺から切り出された木材が浮かんでいますが、こののち向こう岸の土場から貨車に積まれ王子製紙苫小牧工場に運ばれていくのでしょう。
写真左下は、1922(大正11)7月22日、摂政宮皇太子(後の昭和天皇)が支笏湖に行啓した際の様子です。橋の下の川の形状、背後の山の稜線から推測すると現在の親水広場方向から写したものでしょう。
橋を徒歩で渡っていることから休憩を終え帰路につくため湖畔駅に向かっているところでしょう。線路には枕木が全く見えないほど細かな砂利?が敷き詰められているのが分かります。殿下が歩きやすいようにとの配慮なのでしょうか。
下の写真も木橋の湖畔橋です。奥に支笏湖、その奥には恵庭岳がはっきりとわかります。もう1枚は湖側、現在の遊覧船乗り場方向から写したと思われますがあまり見たことのないアングルです。