支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(4)
掲載日:2020.10.01
王子軽便鉄道と支笏湖について、各種会合で説明用に使用していたパワーポイント資料を使ってこのHPで1ページづつ紹介させていただいています。今回はその第4回目です。
上の写真右上:湖畔驛の2号機関車と客車。駅と言っても簡単なプラットホームがあるだけです。写真では汽車が左に向いていますので苫小牧方向に向かって出発する前の様子と思われます。写真では見にくいですが、男性は背広に山高帽、女性は裾の長いスカートをはいていますので支笏湖の一般住民の出で立ちではないようです(失礼かな?)。人の大きさと比べると機関車のかわいらしさが分かります。
更に、雨降りなのでしょうか中村組と書かれた番傘をさしていますが、中村組は発電所の建設や荷役等に従事していたようです。なお、中村組とは現在の菱中建設のことです。
機関車は全部で11両が活躍しました。このうち5両はアメリカのポーター社(1866年創業)製で最初の3両(C型サドルタンク)は1907(明治40)年に三井物産を通じて輸入されています。その後昭和10年代には小樽にあった橋本鉄工所がこのポーター社製機関車のコピー3両を製造しており、当時の小樽の鉄工技術の水準の高さがうかがえます。
上の写真左下:3号機関車でこれもポーター社製です。1922(大正11)年7月摂政宮皇太子(後の昭和天皇)が支笏湖行啓に使われたお召列車です。この時に2両の貴賓車が王子製紙苫小牧工場により製造されています。
下の写真左:摂政宮皇太子が支笏湖行啓を終え貴賓車の戻るところと思われます。この時の湖畔橋はまだ木製でした。
下の写真右:当時のポーター社のカタログ88ページには苫小牧に現存する4号機の原型と思われる機関車が掲載されています。