支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(1)

掲載日:2020.08.26

支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(1)

昨秋、王子軽便鉄道ミュージアム山線湖畔驛のオープンに向けた準備が本格化して以来、各種会合(ロータリークラブや千歳市役所職員研修会等)で時間をいただき王子軽便鉄道と支笏湖の歴史について、パワーポイントを使ってご紹介させていただきました。

しかし、昨今のコロナ禍によりそのような機会がほぼ無くなってしまいましたので、これまで使っていたパワーポイントの資料を使ってHPでこれから1~2ページづつ紹介させていただくことにしました。本日はその第1回目です。

〇まず、写真の人物は王子製紙専務取締役であった鈴木梅四郎です。同氏は1862年長野県に生まれ、三井銀行から王子製紙の経営立て直しのため専務取締役に登用された人物です。

同専務とその一行は1904(明治37)年、新工場の適地を求め道内各地を踏査しましたが条件に合わず、最後に支笏湖を訪れています。そこで支笏湖から流れ出す千歳川の滝(ナッソウ、ポロソウ、ホラキソウ、カマソウ)の落差を見て、ここで水力発電が出来ると直感しました。それまでの工場の動力といえば水車や蒸気機関を使っていましたが、大規模で近代的な工場の建設には電力が必要でありそのための発電所の建設が必須だったということでしょう。

同時に工場の立地場所は千歳村(当時)が誘致の請願をしていましたが苫小牧に決めています。当時の苫小牧には安価で広大な土地があり、既に室蘭本線が開通していたことなどが要因でしょう。王子製紙はこれら鈴木梅四郎の功績を讃え、第一発電所に頌徳碑を建立しています。

〇ナッソウの滝(右の写真)の左上に写っている住居は「滝の上」の集落です。ここには集落の下にある堰堤から第一発電所に送水する水路の保守・管理や湖の水位調整等を行う社員が住んでいました。今でも新千歳空港~支笏湖間の路線バスの停留所として「滝の上」が残っています。

支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(1)
支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(1)
支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(1)