十勝北部開発に貢献した北海道拓殖鉄道 その2

掲載日:2020.07.16

十勝北部開発に貢献した北海道拓殖鉄道 その2

十勝管内鹿追町の北海道拓殖鉄道の旧鹿追駅跡にひっそりと8622蒸気機関車が展示されています。

全長が16.7m、高さ3.7mですからD51を一回り小さくしたほどの大きさですが、逆に言えばそんな大きな機関車が大正から昭和にかけてこの十勝北部の物資と人々の輸送に当たっていたことを知って驚きました。

もう一つ、驚きとともに嬉しくなったことがありました。それはこの拓殖鉄道の歴史を2013年当時鹿追町立瓜幕中学校1年A組12名が学習レポートとしてまとめていることです。当時のことを知る町内の長老の方の話を聞いたり、十勝の鉄道史に詳しい方の話を聞いたりして、12名はそれぞれの視点でまとめています。

屈足と熊牛間にあったトンネルは、冬になるとトンネルの天井につららが出来て機関車にぶつかったり客車の窓を割ることがあるので、列車が通らない時には扉を閉めていたこと。祖父の中学3年の修学旅行は瓜幕駅から拓殖鉄道に乗り函館に向かったこと。昔の瓜幕には製材所や映画館や日通があったとのこと等々。

日通があったということは当時のこの地域の物流の様子(規模)を物語っているのでは・・・。

彼らは今年で二十歳になっていることになります。進学や就職で瓜幕を離れた人も多いことでしょう。これからも故郷瓜幕のことを思うとき、このレポートで学んだことを思い出してください。

  この学習レポートの一節を転記します。

「拓殖鉄道は鹿追にたくさんの人が来てもらえるようにと造られました。そのおかげで、瓜幕にもたくさんの人が来て様々な店もできましたが、1968年に拓殖鉄道を廃止してしまったことで、瓜幕は人が減ってしまい、店の数も減ってしまいました。鉄道があるかないかで、こんなに町が変わってしまうのだなと思いました。」

 ※この12名の学習レポートは、今後数回に分けてお伝えします。今回はその2回目です。

 

 

 

十勝北部開発に貢献した北海道拓殖鉄道 その2
十勝北部開発に貢献した北海道拓殖鉄道 その2
十勝北部開発に貢献した北海道拓殖鉄道 その2
十勝北部開発に貢献した北海道拓殖鉄道 その2
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