「支笏湖日記」に見る湖畔の思い出(6)
掲載日:2021.03.17
2020年1月31日に休刊となった千歳民報には、毎月1回「支笏湖日記」というコラムがあり(今は苫小牧民報に掲載)、私も執筆者の一人として支笏湖で見たこと感じたことなどを書いてきましたので、恥ずかしながらこのトピックスで紹介したいと思います。
今回はその6回目、米軍キャンプ場跡です。
日記では紙面の都合で書けませんでしたので、米軍キャンプ場なるものがどういう経緯でできたのか、千歳市史の記述を参考に述べたいと思います。
昭和28年に着任した支笏洞爺国立公園初代レンジャー宮林廣氏によると同年6月「説明や連絡が何もないまま、いきなり米軍キャンプ場が出来てしまって本当にびっくりしました。(中略)幅50m、奥行き400mの地帯にテント約150、1週間交代で1,000名が常時滞在するという。」とあります。
その後昭和35年、支笏湖水上訓練場となりましたが、実態は軍人や家族のレクリエーション施設だったようで、昭和38年頃にはバンガロー17棟のほか、自家発電施設も整備され浜辺のスピーカーからはジャズが流されていたそうです。
上の写真からもわかる通りここは今でも広々とした砂地が広がっており、湖底も遠浅になっていますので、キャンプや水遊びには最適な場所だったのでしょう。
それにしてもこの作り方は、何ともやんちゃなヤンキーという感じですね。
写真はいずれも昭和30年代(千歳市提供)