支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(9)

掲載日:2021.01.15

支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(9)

 王子軽便鉄道と支笏湖について、各種会合で説明用に使用していたパワーポイント資料を使ってこのHPで紹介させていただいています。今回はその第9回目です。

 今回は支笏湖のシンボル「山線鉄橋」についてお伝えします。

 この山線鉄橋は、北海道で現存する現役最古のもので、日本の橋梁史においても稀少かつ重要な資料として評価を受けています。
 英国製200ftピン構造ダブルワーレントラス橋で、明治政府により1882(明治15)年に鉄道建設技師長として招聘されたイギリス人のチャールズ・ポーナルの設計によるものです。
 輸入された当初は、1899(明治32)年から北海道官設鉄道上川線の砂川・滝川間に架けられていましたが、設計加重が小さく輸送量の大幅な増加に対応できなくなり、1923(大正12)年頃に架け替えられました。その翌年、王子製紙苫小牧工場専用鉄道(山線)の橋として支笏湖に移され、湖畔橋と呼ばれ親しまれていました。 

 1951(昭和26)年8月、急速に進んだ道路整備により山線が廃止され、湖畔橋も鉄道橋の役目を終えました。その後、1967(昭和42)年に王子製紙から千歳市に寄贈され、道路橋・歩道橋として長年利用されてきました。

 老朽化の著しかった橋は、千歳市が「現地で原形保存し、現役で使用する」ことを基本理念に1995(平成7)年から3年にわたり、製造時の技術や姿を保つためリベットの復元など最大限の方策を講じて解体修復工事が行われ、支笏湖の新たなシンボル「山線鉄橋」として生まれ変わりました。

 この山線鉄橋のほかに、同形式の橋で国内に現存するのは、東海道本線:揖斐川沢渡橋梁、箱根登山鉄道:早川橋梁、北恵那鉄道:木曾川橋梁の3橋のみとなっています。

  2007(平成19)年11月に「洋紙の国内自給を目指し北海道へと展開した製紙業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として、4号機関車や5つの発電所などとともに経済産業省から認定されたほか、2018(平成30)年11月には公益社団法人土木学会から選奨土木遺産に認定されています。

 1998(平成9)年に復元された山線鉄橋ですが、今年で24年の歳月が流れ、歩道のひび割れや塗装の剥離等が進んでいることから、現在千歳市により補修工事中で今年の秋頃には再塗装された姿が見られるでしょう。

 

 

支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(9)
支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(9)
支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(9)
支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(9)
支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(9)
支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(9)